2012年12月

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31日
 
 オリオン座の左下にある赤い星、「ペテルギウス」は、「今現在」、爆発しているかもしれない星。
 もし、その爆発した姿を「今」見せるならば、満月に近い光を見せるとのこと。
 つまり、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」の10年後の木星の如くに、第二の太陽騒ぎになるであろう事。
 でも、そうなる事は、今か、来年か、100年後かわからない、というオチ(笑)。
 
 はたして私は、ペテルギウスの死を見て死ねるのか、できれば見て死にたいけれど、しかしそれは宝くじよりも確率は低い。
 
 でも、もし神様がいて、宝くじの当選と、爆発の瞬間のどちらかを選べと言われたら…。
 
 やっぱり宝くじを選んじゃう(笑)。
 天体ショーだけじゃ現世利益が低いもんね。はは(汗)。

 ともあれ、みなさん。
 良いお年を♪

 ケェ〜セラァ〜セラァ〜♪
 
07日
 
 今年一年を振り返ると…。
 「ポカァ〜ン。」
 な気分。
 昨年の大震災の後の虚脱感のせいなのか。
 今年は、心に大きな穴が空いたまま過ごしてしまった一年のような気がする。
 別に、私に一切の災禍があったわけではないし、知り合いに不幸があったわけでもない。
 でも、たぶん同じ日本民族としての共感がそうさせているのだろうと思う。
 
 その「ポカァ〜ン。」のせいで、今年は目標を立てられなかった。
 ただ、漫然と過ごしてしまった一年。
 …でも、仕方がないのかもしれない。
 私のように心の強くない男にとって、昨年のショックはそれほどのものだった。
 
 私の一年は、そんな情けの無い一年。
 しかし、世間を見ると、昨年の震災から大きく叫ばれてきた「絆。」「希望。」の言葉が、今年、マスコミによって意図的に色あせさせらた事が、気になってしまう。
 でも、絆も希望も、実は色あせてなんかいやしない。
 なぜなら、それらは流行のように消える言葉ではなく、必要とあらば浮き出てくる言葉だからだ。
 マスコミは相対主義者であり戦後民主主義者であり臆病者なので、その性分で色あせさせたに過ぎない。
 しかし、今は静かにしているが、そういう励ましや団結の言葉は、また間欠泉のように吹き出てくる。
 その時は、でも天災の時とは限らない。
 たとえば、オリンピックやサッカーや野球などの世界戦の時。
 たとえば、ノーベル賞受賞の時。
 たとえば、戦争の時。
 
 絆や希望は、共同体の中で叫ばれた言葉。
 それらは、国民としての団結。励まし。喜び等々を象徴する言葉として生まれた。
 それは、普通に戦争時での言葉にも使われてしまう。

 ゆえに、マスコミは「絆。」も「希望。」も、いや国民を鼓舞する全ての「言葉」が大嫌いなのだ。
 だから、慌てて相対化し、色あせさせてしまう。
 それは、戦後の変わらない言語空間。
 GHQに指導され、羹にこりて膾を吹く臆病者の日本マスコミの性分だ。
 
 しかし、どうであろう。今回の総選挙。
 そんな、戦後民主主義の言語空間を作ってきたつもりのマスコミに冷水を浴びせる事態となってはいないか。
 その証拠が、改憲、改憲の大合唱である。
 これは、改憲という膾を吹いてきた戦後マスコミの存在意義を問われる事態とは言えまいか。
 なぜなら、改憲こそは、反GHQであり、反戦後民主主義であり、反朝日新聞、つまり反マスコミであるからだ。
 占領憲法をGHQに否応なく押し付けられ、その後、アメリカの監視下のもと、今日まで守られてきた護憲という言語空間にもかかわらず、それを打ち破る改憲の声が大きく叫ばれてしまった。
 これは、朝日新聞を筆頭としたマスコミにとっては、沽券が問われる事態ではないか。
 
 しかし、朝日新聞的言語空間が大っ嫌いな一国民の私から見たら、ざまあみろの事態である(笑)。

 そのマスコミは、しかし、その膾をけっして食べようとはしないだろう。
 改憲という膾を食べたら自らの愚かさを知ってしまうからだ。
 
 では、この先、日本の言語空間はどうなっていくのだろうか。
 石原慎太郎は、「堕落論」の如くに落ちよと言う。
 安倍晋三は、日本を取り戻すと言う。
 朝日新聞は、変えてなるものかと言う。
 
 私は、ワイマール憲法下で多党乱立に陥ったナチス誕生前のドイツを見る思いでいる。
 または、近衛政権末期の様にも思える。
 いずれにしても、朝日新聞の化けの皮が剥がれてワクワクする反面、薄気味の悪い年末だ…。

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